学生時代、友人と2人で、短距離走の勝負をしたことがあります。
短距離走では、スタートの合図が必要です。
「用意、どん」です。
審判員がいればいいのですが、2人しかいないため、選手が自分でスタートの合図をすることにしました。
このとき、いつもおかしな現象がありました。
スタートの合図をする側が、必ず有利になるのです。
スタートの合図をする側は、合図のタイミングがわかるため、合図と同時にスタートできます。
タイムロスが、まったくありません。
しかし、合図を待つ側は、合図のタイミングがわからないため、遅れてスタートになるのです。
スタートの合図は「言われるもの」という先入観はありませんか。
もちろん正式な短距離走では、審判員に合図してもらう必要がありますが、人生は違います。
人生はもっと自由です。
自分が合図すればいいのです。
合図を待っているばかりの人生では、後れを取る一方です。
スタートの合図は、誰かにしてもらうものではなく、自分でするものです。
誰かにしてもらえる状況でも、あえて自分でしたほうが、有利になります。
自分が「今だ」と思ったときが、スタートです。
ずうずうしく思わず、自分でスタートの合図をしましょう。
自分でスタートの合図をするから、有利な人生を送ることができるのです。