私の職場には、絶対に切れない温和な上司がいます。
いつも温和で優しく、人望がある上司です。
彼が感情的になっているのを見たことがありません。
電車遅延などで、その上司に遅刻の報告をすると「気をつけて出社しなさい」という優しいメールが返ってきます。
器の大きさが感じられる上司のポイントを知りたいと思い、ある日、聞いてみました。
「どうしていつも穏やかなんですか」
すると、思わぬ答えが返ってきました。
「小さなことだから気にしていないよ」
はっとしました。
ささいなことだから、気に留めていないだけです。
あらためて考えると、私たちがいらいらするのはどれもささいなことばかりです。
コーヒーがこぼれた。
遅刻した。
無視された。
服に汚れが付いた。
うまく話ができなかった。
別にけがをするわけでも命を取られるわけでもありません。
器の大きい達人たちは「気にするなら、小さなことではなく重大なことを気にしなさい」と考えています。
器が大きいとは、これです。
大切なことは、何を気にするかです。
小さなことにとらわれていると、いつも振り回されるため、いらいらしやすくなります。
ささいなことは、いい意味で「鈍感」になればいい。
気にしません。
けがをするわけでも、命を取られるわけでもありませんから、無視していい。
それは悪い意味ではなく、いい意味です。
気にするなら、重要なことを気にすることです。
電車遅延の報告をしたとき「気をつけて出社しなさい」というメールの真意がわかりました。
もちろん遅刻はよくありませんが、別にけがをするわけでもないし、死ぬわけでもない。
それより重要なことは、遅刻で焦ったがために事故を起こさないかということです。
焦りは誰にでもあります。
急いでいるうちに、信号無視をして交通事故に遭ったほうが大事件です。
それは命に関係します。
たかだか10分ほどの遅刻でも、焦りが生じると判断力が低下し、交通事故を起こす可能性が大きくなります。
死んだら最後。
取り返しはつきません。
上司は、一歩先を読んでいました。
遅刻をしたときに「気をつけて出社しなさい」というメールには、そういう上司の器の大きさがうかがえるのでした。