周りの目を気にせず生きる人がいます。
「私は嫌われても平気です。人からどう思われようと陰で何を言われようと気にしません」
もちろん悪いことではありません。
自分の人生は自分のもの。
自分の生き方は自分で決めるものです。
世の中にはさまざまな価値観の人がいます。
自分の生き方が万人に受け入れられるとは限りません。
自分では普通のつもりでも、なぜか人から理解されず、嫌われてしまうことがあるでしょう。
時には面倒なアンチに遭遇することもあるでしょう。
たとえ人から嫌われようと、気にしなければいいことです。
批判されようと何を言われようと、気にしなければ、ノーダメージです。
外野の声を気にせず突き進む姿勢はいいのですが、ここで注意したいことがあります。
自然と嫌われるのはいいのですが、わざと嫌われるのはよくありません。
「嫌われる」という結果は同じでも、そのプロセスが重要です。
「自然と嫌われる」というパターンはいいのです。
そこには悪意も作為もありません。
価値観に合わなかっただけのことです。
相手に受け入れられなかっただけです。
普通に過ごした結果、自然と嫌われるのは仕方ないことですからOKです。
問題なのは「わざと嫌われる」というパターンです。
わざと嫌われるのは「こちらから攻撃を仕掛けている」ということです。
わざと挑発的な態度を取ったり周囲の悪口を言ったりすれば、嫌われて当然です。
そこには悪意や作為があります。
普通に嫌われて終わりではなく、敵やアンチを増やすことになります。
もともとアンチがいるなら、火に油を注ぐことになり、ますますアンチの攻撃が加速するに違いありません。
わざと人から嫌われようとするのは、ただの嫌な人です。
「自然と嫌われる」と「わざと嫌われる」は別物と考えてください。
同じ「嫌われる」でも、天と地ほどの差があります。
自然と嫌われるのは仕方ないことですが、わざと嫌われるのは避けるべきことです。