本当の存在感とは、物より、心です。
モテる人になるためには、かっこいい服を着ればいいと、考えがちです。
たしかにそのとおりです。
かっこいい服を着れば、かっこよくなれます。
ただし、かっこいい人ではなく「かっこいい服を着た人」になります。
かっこいいのは、人ではなく、服なのです。
力を入れるのが服ばかりに偏ると「自己アピールは、かっこいい服を着る方法しかないのかな」と思います。
かっこいい服を着ることでしか、自分のかっこよさをアピールできないのでは、元はかっこよくないように思われてしまうのです。
やけにかっこよすぎる服を着た人が薄い人間に見えてしまうのは、物が人と釣り合っていないからです。
本当の存在感とは、物ではなく、心なのです。
貧者・孤児・病人の救済に献身を尽くしたマザー・テレサは、世界の平和にその一生を捧げた偉人です。
彼女は「世界の母」と言われるほど、世界的な存在感があります。
マザー・テレサは、何も持っていません。
持っているのは、世界を平和にしたい優しい「心」だけです。
生きるために最低限必要な服と食料だけで、ほかには何も「物」は持っていませんでしたが、世界的な存在感がありました。
マザー・テレサの心が、世界的な存在感を出していたのです。
すべての人が平和で暮らせるようにという「愛」が、彼女の正真正銘の存在感を出していったのです。
1979年、テレサはノーベル平和賞を受賞しました。
「私は受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました」と、言っています。
ノーベル平和賞を政治家や活動家が受賞する際には、委員会の中でも誰がふさわしいのかと意見がわかれることが多いようです。
しかし、マザー・テレサの受賞の際は、満場一致だったそうです。
ノーベル賞で受賞した賞金を、彼女は全額寄付しました。
「マザー・テレサの平和賞受賞は、私たちが大きな喜びと満足感を持って振り返ることのできる受賞だった」
とノーベル賞委員会の委員長は語っています。
マザー・テレサは、1997年に亡くなりました。
テレサの葬式は、異例の国葬でした。
国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。
テレサがどれほどインドの人々に愛されていたかが、わかります。
テレサの葬式には、世界中からたくさんの人がやってきました。
たくさんの人がマザー・テレサの心に、心を打たれ、彼女を愛していたのです。
本当の存在感は、物からではなく、心から出てくるのです。