あなたの生活は、ごちゃごちゃになっていませんか。
必要ないものを、たくさん集めている生活になっていませんか。
「ごちゃごちゃした生活」と「すっきりした生活」のどちらがいいですか。
そう聞けば、100人中100人、すっきりした生活のほうがいいと答えます。
みんなが共通する意識です。
しかし、頭ではそうわかっていながら、実際にはごちゃごちゃしている生活に埋もれている人がたくさんいることに気づきます。
すっきりした生活を望みながら、なかなかうまくいかないのです。
「掃除の仕方を知らないから」
「友人との付き合いが下手だから」
さまざまな答えが返ってきそうですが、どれも違います。
表面的な技術やテクニックを磨くことで、一時的に改善されていても、表面的な改善にしかなっていません。
それはなぜでしょうか。
心にごみがたまっているからです。
心にごみがたまっていると、その人の生活もごみがたまっていくようになります。
「もったいない」という「執着心」が心にあるために、部屋の中のごみがもったいなくて捨てられなくなります。
「嫌われたらどうしよう」という「恐怖」が心の中にあるために、人間関係がごちゃごちゃしてしまいます。
「人からすごいと思われたい」という「見栄」があると、偉そうな態度を取ってしまいます。
「執着心」「恐怖」「見栄」「エゴ」「横柄」などが大きすぎるために、生活が傾いているのです。
いくら素晴らしい切れ味の包丁があっても、その包丁をどう使うのかは、使う人の心しだいです。
包丁を料理に使うか、武器に使うのかは、包丁が決めるのではなく、心が決めて動かしているのです。
生活のごちゃごちゃした部分も同じです。
人間関係に苦労をしている人、部屋が散らかっている人、悩みに苦しんでいる人も、解決するテクニックや技術はありません。
心に問題があるのです。
心が汚れているというのは、映画でいうフィルムが汚れていることと同じです。
フィルムが汚れていると、そこから映し出される映像も、すべて汚れて乱れます。
映し方が悪いのでもなく、カメラが悪いのでもなく、フィルムに汚れてついていることが、そもそもの原因なのです。
人間の生活は、心というフィルムから映し出された映像です。
あなたは悩みの解決を、表面的なことに求めていませんか。
「話し方が悪いから人から嫌われる」
「友人から嫌われたくないから、お世辞の練習をする」
「みんなから好かれたいから、話のネタを集める」
たしかに一時的によくなるかもしれませんが、表面的な解決であって、根本的な解決ではないのです。
フィルムをきれいにしましょう。
心をきれいにしましょう。
フィルムである心がきれいになれば、そこから映し出される生活はすべてが一気に変わります。
フィルムが汚れていると、また汚れた生活に戻ってしまいます。
ごちゃごちゃの正体は、心の汚れが正体だったのです。
すっきりした生活ができている人は、心がきれいだから、できるのです。