日頃からコスパを意識している人がいます。
コスパとは「コストパフォーマンス」の略であり、費用対効果が高いことを意味します。
たしかにコスパを意識すれば、効率の良いお金の使い方を実現できるでしょう。
かかった費用に対して得られた効果が大きければ、満足度も高くなります。
効率よく生きるために、日頃からコスパを意識している人も多いのではないでしょうか。
もちろんコスパを意識するのはいいのですが、何から何までコスパを意識するのは考えものです。
コスパ意識も、限度を超えると「コスパ教」です。
一種の宗教となり、コスパを絶対視している人がいるもの。
コスパ教に発展すると、ベストタイミングを逃したり、やりたいことができなくなったりします。
本当に好きなことができなくなります。
ここで気づいてほしいことがあります。
コスパには、ある落とし穴があります。
「妥協が生まれる」ということです。
コスパを意識すると「できるだけ低い価格で、できるだけ効果が大きなことを見つける」という思考になります。
このとき、効果が最大とは限りません。
少ない費用に対して高い効果が得られるにすぎません。
コスパを重視すればするほど、効果よりお金を軸に考えてしまいます。
好みでないものや希望しない選択肢になるなど、大なり小なり妥協が生まれることになります。
突然ですが、ここであなたに想像してみてほしいことがあります。
コスパばかり追い求めた人生の末、今まさに病室で死を向かえる場面があるとします。
死の間際「私の人生はコスパがよかった」と言うでしょうか。
いいえ、言わないはずです。
「私の人生はコスパがよかった」という表現に大きな違和感を覚えるはずです。
コスパだけの毎日ほどつまらない人生はありません。
コスパを意識しても、コスパ教になってはいけません。
コスパばかり追い求めていると、人生に絶望するのです。
コスパが正しいとは限りません。
コスパがすべてでもありません。
コスパは、費用対効果が高いだけのことです。
効果・効率の点では素晴らしいですが、ベストの選択ではなく、ベターの選択ばかりになります。
一番好きなことや一番やりたいことができなくなります。
「コスパ重視=妥協を受け入れる」です。
妥協が生まれ「悪くはない」「嫌いではない」という中途半端な選択が増え、本当の満足が得られなくなります。
たまにはコスパを忘れて、ストレートに本当の願望を叶えることです。
コスパが悪くても、好きなことならやりましょう。
コスパを考えずに趣味に取り組むのもよし。
コスパが悪くても、楽しいことなら惜しみなくお金を出すことです。
コスパを忘れたとき、本当にやりたいことを実現できます。
多少お金がかかったとしても「本当の幸せ」「本当の満足」が得られます。
お金を使いすぎたら、また稼げばいいことです。
一度しかない人生を後悔したくないなら、たまにはコスパを考えない時間を作ってください。
コスパを忘れたとき、自分らしさが爆発します。
本音で生きることができ、幸せになる道が見えてくるのです。