長く生きているということは「知恵」を身につけるためでもあります。
長く生きていればたくさん勉強する時間があるため、知識も豊富になると思うでしょう。
たしかに長く生きていればその分たくさん知ることができますが、年を取るごとにどんどん忘れます。
たくさん覚えていても、たくさん忘れてしまうことになってしまうのです。
この現実に、頭のいい人は早いうちに気づきます。
「知識」と「知恵」は別物であると言うことに気づきます。
幸せな人生を送る人は知識より知恵のほうが大切だということに気づき、勉強の仕方も変えます。
知識は、時代が変わるにつれて一緒に変わるものです。
今覚えたことが、10年後にはもう使えない知識になっていることもあります。
いえ、存在しないこともあり得ます。
しかし、知恵は知識と別物であり、時代を超えても変わらず普遍的なことです。
勉強に例えると「覚えること」そのものではなく「勉強法」に当たります。
たとえば経済の勉強をするためには、たくさんの知識を覚えようとします。
しかし、法律が変わったり、総理大臣が変わったりなど、世の中はころころ変わります。
今の総理大臣が10年後も同じとは限りません。
また今の法律が10年後にも存在しているとも限らないのです。
一方で全然聞いたこともない法律が登場しているかもしれません。
今勉強していることが今後もずっと使えるとは限りません。
そのうえ、時代が流れるにつれて次から次へと新しい情報が登場してきますから、覚えることもたくさん出てきます。
ですが「勉強法」に関しては、世の中の影響などまったく受けず、関係ありません。
「朝に勉強するほうが頭に入る」
「紙に書くと覚えやすくなる」
「量をこなす」
こうした方法論は、時代が変わっても普遍です。
大人になってからも、十分に使える知恵です。
頭のいい人は、知識そのものを覚えようとする前に、効率のよい「方法」で攻めていきます。
底なしの情報をすべて覚えようとはせず、覚える必要が出てきたときに効率のいい勉強法でさっと覚えます。
底なし地獄に自分から突っ込んでいくというようなことはしないのです。
知恵があれば、知識は後からどうにでも操れてしまうからです。
一度知恵が身につけば、ほかの勉強をするときでも十分に使うことができ、知識を身につけることにも役立つのです。