「犠牲にする」とは何か。
ある目的を達成するために、代わりとして大切なものを捧げることをいいます。
好きなことをするには犠牲が必要と思っていないでしょうか。
「健康を犠牲にしなければ、好きなことをできない」
「恋愛を犠牲にしなければ、好きなことをできない」
「家族や友人を犠牲にしなければ、好きなことをできない」
「結婚を諦めなければ、好きなことはできない」
大切なことを犠牲にしなければ、好きなことをできないと思っている人がいるようです。
たしかに好きなことをするためには、我慢や制限が必要なこともあります。
好きなことに集中している間は、ほかがおろそかになります。
好きなことに集中すればするほど、手抜きや不注意もひどくなります。
悪気はなくても、自然と犠牲にしてしまう状況があるのも事実です。
いつの間にかわがままを押し通したり自由奔放に振る舞ったりなど、周りに迷惑をかける印象を受けることもあるでしょう。
だからといって「犠牲が必要」というのは大げさです。
犠牲という言葉は、諦めるニュアンスがあって過激です。
過激な考え方をしていると、失敗に終わったときの脱力感が激しくなり、自暴自棄を招くリスクがあります。
そもそも「犠牲」という言葉は使うべきではありません。
不運を招くネガティブワードです。
思っていることはそのとおり実現します。
犠牲が必要と思っているから、悪い結果と暗い未来を引き寄せます。
我慢や制限があるとはいえ一時的です。
大切なことを犠牲にするほどではありません。
好きなことをするためには犠牲が必要と思っているなら、考えを改めましょう。
考え方を変えてください。
「大切なことを犠牲にしなくても、好きなことはできる」と。
可能性の扉が開き、実現する方法が見えてきます。
「犠牲にする必要がある」と思っているから、本当に犠牲を出してしまいます。
「犠牲にする必要はない」と思えば、犠牲にしないで実現する方法を見いだせます。
健康でいながら好きなこともできます。
恋愛を楽しみながら好きなこともできます。
家族や友人を大切にしながら好きなこともできます。
結婚をして幸せな家庭を築きながら好きなこともできます。
犠牲にしなくてもできると思えば、それを実現する方法が見つかります。
何かを犠牲にしなくても、ストイックは実現できます。
あくまで一時的な我慢や制限であって、諦めることではありません。
犠牲を出さなくても、好きなことをできるのです。
どうすれば犠牲を出さずに、好きなことをできるのか。
必要になるのは「知恵」です。
「必ず名案がある」と信じて知恵を振り絞ってください。
頭をひねって知恵が出なければ、2回も3回もひねりましょう。
一度に実現する方法はないでしょうか。
仕事が2つあるなら、1つにまとめることができないか。
1つずつ行うのが無理なら、並列で行う方法はないでしょうか。
集中しなければできないことなら、集中しなくてもできる方法はないか。
自分ができないなら、できる人に頼めないか。
お金がないなら、知恵を出してください。
私たち人間は、地球上で最も頭脳が発達した生き物です。
頭脳には限界がありません。
「いい方法がきっとある」と信じて頭をひねれば、いつか素晴らしいアイデアが浮かびます。
1つのアイデアは、100の力に匹敵します。
大切なことを犠牲にしなくても、好きなことはできるようになります。