私は「執筆業でよかった」と思うことがあります。
書くことでもやもやした本当の自分が見えてくるからです。
決してそういう理由で書き始めたわけではないのですが、結果としてはどんどん自分を発見する行為になっています。
日頃から考えていることや思っていることでも、それらの意識は目に見えるものではありません。
しかし、いつも習慣として書いていることで、それらのもやもやした意識がはっきり目に見える形で表れてくるようになります。
実はHAPPY LIFESTYLEの中で私が書いていることのほとんどは、書いている私でさえも驚く内容がほとんどです。
自分が読んでいても「なぜこんなことを知っているんだ」と思うようなことばかりです。
書いている途中で、自分で「なるほど」とうなずいていることがしょっちゅうあります。
自分でも驚く内容ですが、実際に私が書いていることには変わりありません。
どうやら私は、知らないようで知っているようです。
人間にはもやもやした意識で、ほとんどが占められています。
しかし、それが「書く」という行為によって、目に見える形として外に吐き出されます。
たとえそれが元はもやもやした気持ちや感情、考え、意見でも、吐き出してしまうと大胆な表現になっています。
その吐き出されたものが、本来自分の中にため込まれていた部分(あるいは隠れていた部分)に当たるのです。
無意識にもやもやした状態でも、書くことで吐き出してしまえば「これが私の中に隠れていたものか」と初めてわかります。
自分の中にはたくさんの宝物が存在し、それらをただ発掘していないだけです。
思い切って書くという行為によって目に見える形にすると、自分でもびっくりするようなものが吐き出されてきます。
それが、本当のあなたに当たります。
自分でも気づかなかった「もう1人の自分」が見えてきます。
無意識のために意識はしませんが、生活の中である一瞬に感じたり思ったりしていることは、頭のどこかで蓄積されているのです。
それが積もりに積もった状態になり、実はもうあなたの頭の中は宝の山でいっぱいのはずなのです。
吐き出すという行為をしてみましょう。
私がそうであるように、できないと思ってやってみても、できます。
意識は目に見えないものであり、書いてみないことには見えてきません。
日記でもパソコンでも手紙でも何でもかまいませんから、自分を吐き出すフィールドを持つと、本当の自分が見えてくるのです。