人生では「絶望」を感じる状況があります。
1つの不幸でも苦しいのに、同時に複数の不幸が起こると、さらに絶望を感じるでしょう。
不幸に不幸が重なるとどん底まで落ち込み、脱力感に襲われ、無気力に陥ることがあります。
生きながらにして死んだかのようになる。
「人生が詰んだ。終わった。もう絶望しかない……」
人生の希望を失って絶望しそうになりますが、ここが大切なポイントであり、運命の分かれ道です。
そもそもそれは、本当に絶望的な状況なのでしょうか。
いいえ、違います。
まだ絶望ではありません。
自分で絶望と決めつけているだけです。
大きな不幸に思えますが、どれも命に別条はありません。
絶望の定義なんて曖昧です。
希望の有無は、解釈次第でいかようにも変わります。
絶望かどうかは、本人の意識次第で変わります。
お金や環境に恵まれていても、本人に生きる意欲がなければ、人生が色あせて見えるでしょう。
一方、失敗や不幸が重なって落ち込んでも、本人が希望を持っていれば、目をきらきら輝かせることができます。
自分が「絶望だ」と思えば望みは絶たれますが「まだ希望はある」と思えば可能性が出てきます。
つまり、絶望的な状況でも、希望を持ってさえいれば、前を向いて生きられます。
あなたは今、簡単に絶望していないでしょうか。
簡単に絶望しないでください。
自分から可能性の芽をつぶさないでください。
それは愚かなことなので、やめてください。
マイナスがあるだけで、プラスになることは何もありません。
簡単に絶望するのは、人生にも神様にも失礼です。
本当の絶望は、死んだときのことを言います。
死んでしまえば、本当に何もできなくなります。
生きているかぎり絶望することはありません。
どんなに絶望的な状況でも、意地でも希望を持ち続けましょう。
矛盾しているようですが「死んでも希望を持ち続ける!」と思うくらいでいい。
周りが「絶望的だね。もうダメだね。人生が終わっているね」と言ってきても、無視することです。
絶望しているかどうかは、他人が決めることではなく、自分が決めることです。
一般的に意地を張るのはよくないことですが、希望を持つことだけは意地を張ってもかまいません。
人生という名のボクシングは、ダウンの回数に制限がありません。
何度ダウンしても、起き上がってファイティングポーズを取り続けるかぎり、試合は続きます。
状況にかかわらず、本人が希望さえ持っていれば、絶望したことにはならないのです。