「やらされていること」と「行っていること」が同じことでも、本人の気持ちには大きな違いがあります。
やらされていることは、まさに強制です。
本人のやりたい気持ちを一切無視した、仕方なく嫌がりながらやっているということです。
自分がいやいや感じているところに成長はありません。
学校の勉強がなかなか身につかないのは、やらされているということが原因です。
勉強という字は「勉学を強制」と書きます。
もちろん「勉学」を「強める」というふうに書くこともできます。
しかし、学校で勉強しているときには強めている感覚よりやらされている感覚のほうが大きいです。
やらないと、ひどく叱られます。
強制されてやらされているため、一時的に知識が身についても、テストが終わればぱっと頭の中から消えます。
自分が必要としている情報でもなく、役立つ知識でもないため、頭の中から消えます。
これは勉強することが目的なしの目標になっているためです。
目的なしの目標は、やらされているということになります。
しかし、皆さんもご存じのとおり、学校でいつも良い点を取る人がいます。
そんな人は「目的」があるから勉強という目標に立ち向かえるのです。
高校生には大学受験という大きな壁があります。
同じ勉強でも、生き生きできるかいやいややるのかの2通りにわかれますが、目的があるかどうかなのです。
志望校に受かりたい目的があれば、初めて勉強が目的を達成するための目標となります。
そうなると必ず勉強が「やらされている」から「やる」へと変わります。
もはや誰かの指示を受けていやいややらされている勉強ではなく、自分が自分のためにやる勉強へと変わるのです。
「やらされる」と「やる」の違いには、やる本人に「目的」があるかどうかなのです。
目的があれば、そこに到達するまでの困難は、すべて目標になります。
勉強することも叱られることも学校へ通うこともすべて必要な出来事へと変わり、意味のなかったことも意味が出てきます。
あなたが今やろうとしていることには「目的」がありますか。
目的がないと、目標はできません。
たとえ目的なしの目標を立てたところで「やらされている」という感覚になってしまうのです。
自分が自分のためにやるためには、目標を立てる前にまず目的を立てましょう。
「何のためにやるのか」と目的意識がしっかりしていれば、たどり着くまでの道のりは目標へとなり、楽しみに変わるのです。