学問は奥が深いです。
それは井戸のようです。
上から見ると表面積は同じなのに、横から見ると深さがある。
この深さは、底なしです。
どんどん深くなります。
学問をすればするほどたくさん学ぶことがあることがわかり、知らないことや知りたいことが増えます。
しかし、いくらたくさんあっても、学問の究極は一言の「キーワード」になります。
その1つのキーワードは、多くの意味を含んだ圧縮語です。
余計な意味をそぎ落とし、本質だけを突いた一言。
その1つに、すべてをぎゅっと圧縮しています。
私の父には、ある口癖があります。
「まあ」とよく言います。
父の苦労は、本にすればすごい量になるでしょう。
それを一つ一つ、私に諭すわけにはいきません。
時間がかかりすぎて、お互いの人生が終わります。
父の苦労した経験を生かし、息子にアドバイスをします。
父の成功哲学を、私に言います。
それはたった一言の「キーワード」に圧縮しています。
父は、将来の進路に頭を抱えている私を見て言います。
「まあ、貴博のことだから、大丈夫だろう」
この「まあ」が大切です。
父の今まで人生の学問が「まあ」の一言に圧縮されています。
父が今まで苦労を重ね、人生が終わったと思うようなトラブルがあっても「まあ、何とかなる」という教えを説いている。
私は、父のこの成功哲学を幼いころから知らない間に潜在意識として叩き込まれてきました。
その影響で、私の人生の要所には、父と同じ口癖になっています。
「まあ、何とかなるでしょう」
これが、私の口癖です。
学問の究極は、たった一言のキーワードになるのです。