勉強を始める前には、自分の適性を知ることから始まります。
自分の適性がわかれば、自分に適した勉強もわかり、スムーズに進むようになります。
そもそも歴史が大好きな人が、徹底的に歴史を勉強すれば、ぐいぐい点数が伸びることでしょう。
英語に強い興味がある人が、その興味をぶつければ、確実に成績はよくなるはずです。
では、どう自分の適性を見つけるのかというと、実は勉強からです。
自分を発見するためには、勉強が一番です。
何かに挑戦してみないと、自分が何に向いているのかわかりません。
自分探しをするために、自分探しの旅に出る必要はありません。
今、目の前にある勉強を一生懸命にしてみましょう。
さまざまな科目に本気で取り組んだとき、何か「手応え」を感じる瞬間があります。
手応えがない人は、挑戦の数が足りないか、本気で取り組んだ経験がないためです。
たとえば、自分が理系なのか文系なのかは、実際に勉強してみないとわかりません。
勉強をする前から文系なのか理系なのか、わかるはずがありませんね。
「国語関連のほうがスムーズに進むな」
「化学のほうが面白いぞ」
そういう手応えは、本気で勉強してからわかります。
それが適性です。
その手応えを感じるために勉強をしているといっても過言ではありません。
自分の適性を発見するためには、勉強ほどよい課題はありません。
あなたにも、何かの適正があるはずです。
同じ努力をしているにもかかわらず、ある科目はなかなか進まないが、ある科目ではスムーズに理解ができるということがあります。
私が文学に目覚めたのは、中学2年くらいのころでした。
たまたま国語の宿題として出された作文を、真剣に取り組んだことがきっかけです。
一度本気で作文に取り組んでみようと思いました。
辞書を使って言葉の意味を調べたり、文章の流れやリズム、構成などを本気で考えたりして、真剣に取り組んだことがありました。
そのときに「何か独特の楽しさ」を感じたのがきっかけです。
ほかの人ならつらいと感じる宿題を、なぜか「楽しい」と感じてしまう自分がいました。
たまたまなのか偶然なのか、そのときの作文がうまく書け、先生に発表されるという機会がありました。
友人からは「国語が得意そうだね」と褒められました。
今思えば、自分には書くことに適正があったのだと思います。
そのときに真剣に取り組んだからこそ、自分の適正を見つけるきっかけになりました。
もしあのとき、作文に手を抜いていれば、いまだ私は自分の適性を発見できなかったかもしれません。
そう思うと、今ここで書いている文章すらなかった可能性もあります。
もちろん適正は、勉強とは限りません。
もしかしたら「計画を立てること」にたけているかもしれません。
もしかしたら「自己管理」に面白さを見いだすかもしれません。
何に対して自分が反応するのかは、挑戦をした後にわかることです。
自分はこういうことに向いている・適しているという実感は、何かに徹底的にならないとわかりません。
何かに真剣になることで、感じるものがあるのです。