漫才師が師匠に弟子入りをして、師匠の真似をしながら芸を覚えるという師弟関係があります。
漫才という特殊な技能は、弟子として入門し、師匠の芸を間近で見て覚えるのが、一番効率がいいからです。
実力のある漫才師ほど、若いころに漫才師の弟子として入門し、巨匠と生活を共にしたという人が多いです。
いえ、そういう生活をしたからこそ、漫才がうまくなり、大成できたのです。
成功できる人の定石です。
初めはうまくできないが、実力のある師匠の漫才を見て、その本質を吸収します。
真似をしているうちに、芸が身につきます。
漫才師に限らず、何でもそうです。
初めからうまくできる人は、誰もいません。
尊敬できる師匠となる人を見つけて、できるようなふりをしているうちに、身について本物になります。
「そうであるかのように振る舞う」というのを「As Ifの法則」といい、心理学でも認められている効用です。
「どうせできるわけがない」という元気があるなら、とりあえず「真似」から始めてしまうことです。
「どうせできるわけがない」と思うのは、誰でも同じです。
そう思って「諦める人」と「真似をする人」の違いだけです。
できない自分を責める必要はありません。
一度や二度では、うまくできないのは、当たり前です。
しかし、諦めず、何度もしぶとく続けていくうちに、次第にできるようになります。
これは、ほかの分野でも同じです。
私たちが言葉を話せるのも、親の真似をしているうちに身につけました。
自転車の乗り方も、買い物の仕方も、礼儀やマナーも、できる人の真似をしているうちに、できるようになりました。
人間が何かを身につけようとするとき、基本は「真似」からです。
真似を、批判・否定する人は、一生大成できません。
まず「真似」から始めればいい。
尊敬できる人、手本になる人を見つけて徹底的に真似をします。
そのように振る舞えば、本当にそうなります。
真似から始めて、少しずつ本物に近づきます。
最も大切なことは、心から尊敬できる師匠を見つけることです。
すべてに従い、すべてを吸収することです。
「守破離」の「守」の段階です。
しかし、最も基本であり、一番大切な土台です。
吸収でき、完全に真似ができれば、師匠と同じ実力を身につけるのは、時間の問題です。
そこからの未来は、独自の持ち味を身につけて、師匠から離れていけばいいのです。