私は今までいろいろな人の落ち込みに接してきました。
私には19歳から23歳までアメリカロサンゼルスに留学していた経験があります。
遠い国から勉強をするために渡米してきた留学生には、私も含め、いつも悩んでばかりの毎日でした。
言葉や文化が異なるため、日本にいるとき以上に悩みが増え、ストレスもかなりのものでした。
そのときに出会った人全員が、重い悩みやストレスを背負っていたと言ってもいいでしょう。
私は、プライベートなことを話しやすい性格のようで、いろいろな人からプライベートな話をたくさん聞かせてもらえました。
普段ならなかなか聞くことのできない悩みを聞かせてもらえたのです。
ありがたいことです。
私もよく悩み落ち込む性格ですから、友人が悩みを打ち明けてくれると、真剣に聞いてしまいます。
それをある程度、量をこなすと自分の頭に落ち込む人のデータベースができてきます。
そうすると、私はある「共通点」に気づきました。
落ち込んでいる人の原因は、次の2つのみです。
この2つのどちらかです。
落ち込んでいる人は「存在」か「能力」のどちらかが欠けているため、あるいは両方ともが欠けているため、落ち込んでいます。
私も今までたくさんのことを悩み、落ち込みました。
「私は、なぜ落ち込んでいるのだろう」と気持ちがふさがっている原因について考えました。
自分の場合は「能力」が欠けて落ち込んでいる場合が多かったことに気づきました。
たとえば、英語のテストで60点しか取れなかった。
私には英語の「能力」がない、ということで落ち込みます。
私は昔、女の子から「あなたはつまらない」と言われたことがあります。
女の子を楽しませる「能力」がないことで落ち込みます。
私に限らずたいていの人の場合「能力」で落ち込んでいます。
実は、これは軽症です。
たしかに落ち込みますが、治りやすいため、さほど心配しなくても大丈夫です。
しかし、本当に心配しなければならないのは「存在」が欠けている人です。
私の場合は、運よく友人に恵まれ、親からの愛情を受けて育ってきました。
「存在」では、それほど悩んだ経験はありません。
唯一、彼女に振られたときくらいです。
彼女という「存在」を失って、落ち込みました。
私の友人にも「存在」の欠乏で落ち込んでいる人がいます。
その人は「自分には、生きている価値がない」と言います。
自分という「存在価値」が欠落しているため、落ち込んでいます。
自分という「存在」に価値を認めてもらえるのは「精神的豊かさ」です。
人が幸せに生きていくうえで、精神的に豊かであることが必要です。
精神的豊かさの1つに、自分の「存在価値」があるのです。
もちろん「能力」も「精神的豊かさ」にプラスされます。
ですが、大切なことは「能力」より「存在」です。
「できない」という「能力欠乏」で悩んでいる人は、ほかの「できる」人に頼めばいいだけです。
解決しやすい。
それに対して「自分には価値がない」「親や友人を失った」「環境を失った」という「存在欠乏」で悩んでいる人がいます。
そうした人には、誰かに「自分には価値がある」という「存在価値」を認めてもらうことが必要です。
ここが大切です。
ほとんどの人は、ここで間違った励ましをしています。
相手は今「能力欠乏」で落ち込んでいるのか「存在欠乏」で落ち込んでいるのかを知る必要があります。
「能力」で落ち込んでいる人には「能力」で落ち込んでいる人のために元気づける方法があります。
「存在」で落ち込んでいる人には「存在」で落ち込んでいる人を元気づけるための方法があります。
元気づけるには、まず相手が「能力」で落ち込んでいるのか「存在」で落ち込んでいるのか、相手を知ることが大切なのです。