「何も残らない趣味は無駄」と言う人がいます。
モノ作りや創作活動のように、形として残る趣味もあれば、何も残らない趣味もあります。
たとえば、よく挙げられるのが、ゲーム、スポーツ観戦、ギャンブルです。
時間とお金を消費するだけで、形として残るものが何もありません。
読書のように知識や知恵が得られればまだいいのですが、それすらありません。
時間とお金が飛ぶように消えていくのです。
往々にして非生産的な趣味は「時間とお金の無駄使い」と非難されがちです。
ここに大きな誤解があるのです。
趣味の目的は「楽しい時間を過ごすこと」です。
楽しい時間を過ごせたのなら、それでいいのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
趣味は、何かを残すためにやっているわけではありません。
ただ楽しい時間を過ごすためにやるのが、趣味です。
お金のためにしているわけでもなければ、尊敬されるためにやっているわけでもありません。
成長のためにしている趣味もありますが、そうでなくてもいいのです。
時間とお金を消費するだけの非生産的な趣味であっても、楽しい時間を過ごせたならOK。
趣味を満喫したことになります。
趣味は個人の好みなのですから、他人がとやかく言うことではありません。
お金と時間をどう使おうと、その人の自由です。
人の価値観は人それぞれです。
変な趣味・低俗な趣味と言われようと、本人が楽しんで心が潤っているなら、充実した時間を過ごしていることになります。
人はいつ死ぬかわかりません。
すべての人はいつか必ず死にます。
もし死んだとしたら、頑張ってためたお金こそ無駄ということになります。
不謹慎な話ですが、何らかの事情で今日か明日にでも突然死ぬという可能性もゼロではないのです。
人はいつか死ぬのですから、生きているうちに楽しめるだけ楽しむことが大切です。
何も残らない趣味であっても、楽しい時間を過ごせたなら、それで良し。
趣味が無駄だという人は「非生産的なこと=無駄なこと」という考え方になっています。
生産性があるものだけが良いのではありません。
楽しい時間を過ごせればそれでいいのです。
そもそも何も残らないといいますが、実際には残っています。
記録をつけているなら「記録」が残っているでしょう。
撮影しているなら「写真」「動画」が残っているでしょう。
頭の中には「楽しい記憶」「良い思い出」が残っているはずです。
思い出せなくても、記憶の奥深くに眠っています。
記憶も思い出は頭の中にあるものであって、形としては存在しませんが、きちんと残っているのです。
生産性のない趣味を存分に楽しみましょう。
生産性のない時間こそ、至福の時間です。