私たちは、幼いころから「ある根性論」をたたき込まれます。
それは「一度始めたことは最後までやり遂げる」という根性論です。
「途中で嫌になっても、やめてはいけません」
「途中でやめると、逃げることになります」
「一度始めたことは、きちんと最後までやり遂げましょう」
こうした言葉を、親や先生から言われ続けてきた人も多いのではないでしょうか。
そうした教えを受けていたため「一度始めたことは最後までやり遂げるもの」という根性論が定着しています。
「途中でやめるのは恥ずかしいこと」と思いがちです。
たしかに諦め癖はよくありません。
すぐ諦めてしまえば、夢も何も叶わなくなります。
粘り強さを育むため、感情にかかわらず最後までやり遂げるという考え方にも、一定の意味はあるでしょう。
しかし、根性論も、度が過ぎると問題です。
わくわくしながら始めたものの、途中で「おかしいな」と気づくことはあるもの。
表向きの様子や雰囲気だけで、すべて正確に把握するのは不可能です。
想像することはできますが、あくまで想像にすぎません。
実際に取り組んだからこそ、詳しい内情や正確な手応えが把握できます。
「面白そう」と思って取り組んだものの、実際に始めてみると「意外と面白くない」とわかることもあるでしょう。
「役立ちそう」と思って取り組んだものの、実際に始めてみると「思ったほど役立たない」と気づくこともあるでしょう。
実際に取り組んだ結果、想像と大きく違っていれば、方向転換をしたくなるのです。
最後までやり遂げることにこだわっていると、肉体的にも精神的にも消耗が激しくなります。
もちろん時間やお金といった貴重なリソースも無駄になります。
「一度始めたことは最後までやり遂げる」という根性論にとらわれていると、余計な損失が増えるばかり。
あまり我慢を続けていると、無駄に苦しいことが増えるので、性格までゆがんでしまうのです。
我慢には、2種類あります。
「意味のある我慢」と「意味のない我慢」です。
意味のある我慢なら、夢につながっているため根性を出して続けるべきです。
意味のない我慢なら、不毛しかないので、早くやめてしまうほうがいい。
方向転換をするなら、できるだけ早いほうが傷も浅くて済みます。
時間的にも経済的にも、少ない損失で済みます。
「一度始めたことは最後までやり遂げる」という考え方を見直しましょう。
根性論として悪くはありませんが、だからといって理想論でもありません。
信念は素晴らしいですが、いま一度改めておきたい習慣です。
本を読み始めても、学ぶところがなくて面白くないなら、すぐ読むのをやめます。
映画を見始めても、途中であくびが止まらなくなれば、すぐ見るのをやめます。
新しい職場で働き始めても、途中で「この会社は危険だ」とわかれば、すぐ退職願を提出します。
意志が弱いのではありません。
自分の心に正直になっているのです。
あくまで「無駄の排除」「リスクの回避」です。
三日坊主を受け入れましょう。
「もったいない」と思うかもしれませんが、無理に続けて時間の無駄を生むほうが、はるかにもったいない。
非常識な行動として映るかもしれませんが、時間の無駄をなくす効果は絶大です。
時間は貴重です。
もたもたしていると、時間はあっと言う間に過ぎてしまいます。
つまらない根性論は捨ててしまいましょう。
自分を縛り付ける考え方から解放されると、あなたは自由になれます。
方向転換が素早くなることで、時間の無駄がなくなるのです。