完璧主義者は、無駄な経験を嫌います。
意味のあることや結果の出ることだけ求めようとします。
ところが実際は、勇気を出して挑戦しても、不毛に終わることも少なくありません。
そんなとき完璧主義者は「何て無駄なことをしてしまったのだろう」と悔しがり、自分を責めてしまいます。
無駄を避ける気持ちが強いため、無駄な経験をしてしまったとき、ひどく感情的になります。
予定どおりにいかなかったことに腹を立て、自分に自信をなくしたり、自己嫌悪に陥ったりします。
「無駄骨を折った。時間を返してほしい!」
「無駄遣いをした。お金を返してほしい!」
恨んだり悔やんだりして、無駄な経験を悔やむのです。
しかし、無駄な経験と思い込むのはよくありません。
無駄を避けようとすると、行動範囲が狭くなり、行動力も弱くなります。
無難な選択しかできなくなり、行動もワンパターンになるのです。
こうしたとき、よい考え方があります。
無駄になった経験があれば「きっと別の機会で生かされる」と考えましょう。
そのときは生かされないかもしれませんが、別の機会で生かされます。
何の失敗がいつどこで役立つかはわかりません。
1つ言えるのは「いつかどこかで役立つ」ということです。
ビジネスでの失敗がプライベートで生かされることもあるでしょう。
プライベートの失敗がビジネスで生かされることもあるでしょう。
たとえば、好きな人に勇気を出して告白した結果、振られたとします。
結果だけ見ると失敗ですが、つらい経験を通して精神力が鍛えられました。
強くなった精神力が、営業・交渉・プレゼンなど、仕事で生かされることはあり得ます。
本人も気づかないうちに、いつの間にか別の場面で生かされているのです。
難しい仕事に挑戦した結果、失敗に終わったとしましょう。
結果だけ見れば失敗ですが、つらい経験をしたおかげで、同じ失敗をした人の気持ちを理解できるようになります。
共感や同情がしやすくなり、包容力に変わるでしょう。
自然と相手に寄り添った話し方ができるようになるはずです。
本人は生かすつもりはなくても、別の機会で自然と生かされている状態です。
完璧にこだわるのはナンセンス。
どんな失敗も、その場で結果が出なくても無駄になりません。
無駄になった経験は「別の機会で生かされる」と考えることです。
そう考えると、人生に無駄な経験は1つもないことに気づけます。
むしろ完璧を無視して、どんどん行動していくことです。
「別の機会で生かされる」と考えると、すっと心が軽くなり、明るい気持ちになれます。
最近、どんな失敗をしましたか。
今は失敗に感じるかもしれませんが、別の機会で生かされます。
生かされる日を期待して、何か新しいことに挑戦してみましょう。