野球の中継を見ていると、三振でアウトになるケースがあります。
三振で悔しがる様子を見ていると、あるパターンに気づきます。
選手がくよくよ悔しがるのは、空振り三振のときではありません。
思いきりバットを振って球が当たらなかったときは「仕方ない。やられた」という表情をします。
残念そうですが、不思議と足取りは軽い。
「やるだけのことはやった」という納得のいく表情があり、さっと気持ちを切り替える様子が見られます。
本当に悔しがっているのは、見逃し三振のときです。
見逃して三振になった後、バッターは不満げな表情を浮かべます。
顔をかしげて、納得のいかない、悔しそうな表情をするのです。
「こんなことなら思いきりバットを振っておくべきだった……」
そんな心の声が聞こえてきます。
悔しい気持ちを引きずっていて、なかなか気持ちを切り替えられないでいるのです。
人生でも同じです。
チャンスが急にやってきたとき、どうするかです。
いけると思うことでも、うまくいく保証はありません。
しかし、たとえうまくいかなくても、行動すれば悔いはありません。
空振り三振でも「やるだけのことはやった」という達成感があります。
「アクションは起こした」という事実が残るので、結果は出せなくても、最低限、自分の行動に納得できます。
納得できないのは、チャンスを見過ごしてしまったときです。
失敗を恐れて行動できなかったとき、悔いが残ります。
「こんなことなら、思い切って行動するべきだった」と、行動しなかった自分を悔しがるのです。
野球は、人生を語っているのです。