私が幼いころ、親から教わった礼儀はたくさんあります。
厳しいしつけの1つに「脱いだ靴は揃える」というしつけがありました。
靴を揃えず、ほったらかしにしていると「揃えなさい」と、親が怒鳴ります。
叱られるのが嫌だったので、靴を脱いでから振り返って腰をかがめ、靴を揃え直します。
靴を脱いだときのマナーです。
子どものころは、たったこれだけのことでも面倒だと感じていました。
たしかに靴を揃えたほうが見た目はいいですが、それほど大きな意味があるとは思えない時期がありました。
別に自分がはく物で、他人に迷惑をかけるわけではないと思っていました。
しかし、ある日、その感覚が快感に変わる日がありました。
私の実家から歩いて5分くらいのところに、友人の家があります。
友人の家に上がろうとしたとき、いつもの習慣から脱いだ靴を揃えていました。
もうそれが、癖になっていました。
すると、友人のお母さんから「まあ、きれいに靴を揃えられて偉いね」と、褒められたことがありました。
それが嬉しかった。
親からは「ああしなさい、こうしなさい」と口うるさいだけです。
叱られてばかり。
しかし、他人の親からは褒められ、新鮮で感動しました。
行儀のよさで、褒められたりするだけでなく、ほかの人を気持ちよくさせることができるのかと気づきました。
このとき、自分の行儀のよさが快感へと変わりました。
私はもっと親から行儀を教わりたいと思うようになりました。
子どもでも、親が口うるさくいう理由が、なんとなくわかり始めた瞬間でした。
子どもとしてはもっと褒められたい欲求があります。
「もっと褒められるには、もっと行儀よくなればいい」
そう思うようになり、素直に親の言うことを聞くようになりました。