世の中は、日々便利な物が増えています。
便利な物が増えているというのは確実です。
指1本で火が付くライターが発明されました。
自転車ができて、長距離の移動が楽になりました。
携帯電話で移動しながら、海の向こうの人と話ができるようになりました。
人類の登場後、便利な道具があふれています。
これほど便利な物が増えれば、もはや、私たちの生活では不便が1つもなくなりそうです。
生きながらにして、天国のような夢の世界が出来上がりそうです。
しかし、どうでしょうか。
事実から言えば、不便はまったく減っていません。
便利な物が増えているにもかかわらず、なかなか不便が解消されない時代の矛盾に、気づきませんか。
あなたは、うすうす気づいているはずです。
便利な物ができたのに、不便が減らないとはどういうことでしょうか。
便利を実現する道具が、同時に、意外な不便を生み出す道具にもなっているからです。
指1本で火を付けるライターができたので、子どもでも操作ができるようになりました。
子どもが遊んで火をつけて、火事の件数が増えました。
自転車ができたので、移動が楽になりました。
しかし、歩く機会が減り、ストレス発散が難しくなりました。
携帯電話ができて便利になりました。
しかし、他人から24時間束縛されているという新たなストレスを感じ始めるようになりました。
便利さは、意外な不便さを生み出します。
便利さゆえにストレスは小さくなりますが、生み出された不便のために、新たなストレスが増えます。
その結果、精神的ストレスは、プラス・マイナス・ゼロとして帳消しになります。
私たちの時代は、この繰り返しです。
石器時代の人たちが感じていたストレスの大きさと、現代の社会人とでは、手にしている道具はまったく異なります。
手にしている道具が異なるため、感じるストレスの種類も違いますが、ストレスそのものの大きさは、変わっていないはずです。
便利な物が増えた世の中で、ストレスの重圧のため、自殺者まで増える結果です。
一見すれば前に進んでいるようですが、ほとんど前に進んでいません。
便利な物が増えたためストレスは減る一方で、意外な不便を生み出してストレスを感じます。
精神的重圧は、今も昔も、あまり変わりないのです。