生きる目的を与えられず生きてきました。
ただ、生まれてきました。
そうした前提がありながらも、生まれもってすでに持っていることがあります。
面持ち、性格、身体的特徴、得意なこと、人種。
これらを生かして生きる、ということはできます。
それを自分が与えられた使命として解釈してしまうのです。
あえて自分から「よい意味で勘違いを進んでする」といった感じです。
私には「文章を書くのが得意」「考えることが好き」「読書が大好き」という性格的特徴があります。
こうした生まれ持った性格を生かせば、ほかの人より伸びていくことはできます。
もともと、書くことが得意なのですから、それを生かさない手はありません。
もちろん自分の個性を無視して生きることもできます。
しかし、個性を生かしたほうが、生活に活力と緊張感があふれます。
「豊かさにつながる」と思っているから、使命という意識を持って生きることができます。
自分で、あえてそう思い込んでいます。
「自分はこのために生まれてきたのだ。これを自分の得意技にするぞ」と解釈が可能です。
生きることは、何か目的が必要です。
生まれてしまったから、仕方なくただ生きるというのは、むなしい。
せっかく生まれてきたのですから、自分なりに生活が向上する目的を持ちたいものです。