神様を頼らないことです。
神様を信じるのはいいですが、頼るのはよくありません。
べったり頼るのは、もはや依存です。
神様は、依存してくる人が嫌いです。
真剣に人生を生きていない姿勢だからです。
「神様、何とかしてください」
「神様、運を恵んでください」
「神様、私はどうすればいいのでしょうか」
そんなことを言われたところで、神様も困ります。
自分は努力しないで誰かの助けを待つ姿勢は、人生を真剣に生きているとは言えません。
自力で何とかしようとせず、他力に期待するのは傲慢です。
頼られると神様も迷惑です。
べったり寄りかかってこられると逃げたくなるのは、人も神様も同じです。
「自分のことは自分で決めてよ」「自分の人生くらい自分で何とかしようよ」とそっぽを向かれます。
神様は、運やチャンスを与えることはあっても、直接助けることはありません。
神様に頼って判断すると、もし間違っていたとき、神様に責任転嫁することになります。
神様のせいにされては、神様も困ります。
神様に頼ることはあっても、最初からべったり頼り切らないことです。
たしかに、運も存在します。
運とは、人の意志を超越した働きです。
不思議な力が働いて、素晴らしい巡り合わせを得ることがあります。
運が得られると近道を通ることができ、一気に物事が進展します。
運に恵まれると、神様からご褒美を与えられているような感覚になるでしょう。
だからといって、最初から運を頼りにしないことです。
「神様、運を与えてください」なんてお願いしないことです。
自分は何も努力しないで、最初から運を得ようとするのは都合のよすぎる話です。
運が欲しいからといって神様にしつこくねだっていると、幸運ではなく悪運が与えられます。
いいことではなく、悪いことが起こります。
運は、いつでもどこでもあるものではありません。
運とは、努力を重ねた人だけが得られる、神様からのサプライズプレゼントです。
「そこまで頑張っているなら、少し手伝ってあげよう」
神様がプレゼントしてくれます。
努力をした人だけが与えられるものであって、努力をしていない人が与えられることはないのです。
神様を頼っていけないなら、何を頼ればいいのか。
自分を頼るのです。
自分の頭で考えましょう。
自分の手足を動かしましょう。
すべて自分で責任を持ちましょう。
神様に頼らなくても、自分で動けばいいことです。
「肉体」という素晴らしい実現ツールがあるのですから、わざわざ神様を頼らなくても、自分を頼ればいいことです。
頭を動かし、手足を動かしましょう。
どんどん行動するだけで、どんどん進みたい道に進めます。
夢も目標も実現していけます。
自分を頼って、自分で決断するから、自分らしい人生を歩めます。
思いどおりの人生を歩んでいけます。