男性は、支配欲の強い生き物です。
「強くなりたい、上に立ちたい、支配したい」という欲求があります。
なぜ、そういう欲求があるのでしょうか。
ひも解いて説明をすると、生物学的な違いからお話しする必要があります。
生物学的な違いから、男性と女性とでは明らかに筋力や能力に差があります。
男性は、生まれつき女性より筋肉量が多く、筋力が強い。
女性は、生まれつき男性より洞察力にすぐれています。
生物学的な違いから、社会生活においても「男の役割、女の役割」が自然とできました。
では、そもそもなぜ男女という違いがあるのでしょうか。
おそらく神様は、すべての能力を1つにまとめた存在を作ることができなかったのでしょう。
単独で、強くて洞察力があり、出産にも対応できるなど、男女の要素を、単一の個体にまとめることが、できなかった。
出産するためには物理的におなかが大きくなり、動きにくいうえ、狩りがしづらく、敵にも襲われやすくなります。
しかし、そうは言っても、生きていくためには食料を得るために狩りが必要であり、強くなければいけません。
その両者は、矛盾が発生してしまいます。
そこで神様はどうしたのかというと「男性と女性」という2つの性で分けました。
2つに分けて別存在にし、お互いが補完し合うことで、生命のサイクルを進めようと発想しました。
それが男であり、女です。
そのため男女の差は、決定的な生物学的な違いがあります。
生物学的な違いがありますから、社会においても生活様式に違いがあります。
原始時代、男性は強さを生かして狩りに出かけ、女性は洞察力を生かして食料の整理をしたり、子どもの世話をしたりしていました。
男性は、得意な筋力があるため、狩りに適しています。
女性は、優れた洞察力があるので、子どもの世話には適しています。
男女がお互いの生物学的な長所を生かし合って、補完し合って、これまで生きてきました。
男性は自分にできないことを女性に求め、女性は自分にできないことを男性に求めました。
それで、ちょうどいい具合になります。
求め合ったときに、新しい生命も誕生します。
狩りをする男性にとって「誰かに勝ちたい。強くなりたい」という欲求は、まさに本能であり、使命です。
狩りができなければ、食料を調達できず、家で待っている嫁や子どもを養うことができません。
家で食料を待つ人のために、男性はどうしても強くなければならない。
こうした理由から、男性は「偉くなりたい」「強くなりたい」と思います。
「大切な人を守るために強くなければならない」
男としての仕事への意欲を、炎炎と燃やしているのです。