私には「あの人は神様だったな」と思う人がいます。
もう一度会うことができれば、謝り、感謝したいなという人がいます。
留学時代に出会った、ギターの得意な洋平という男友達がいました。
ある友人と話していたときのこと、洋平が私のことを話していることをまた聞きします。
「洋平が『貴博君はいいやつだけど、人の秘密をうっかり話してしまうところが少し嫌だ』と言っていた」
言われたときは、声もでないほど胸にぐさりときた言葉です。
私が大の友人と思っていた人が、私のことをそのように思い、そんなことをほかの人に話していた事実は衝撃的でした。
言われてみれば、たしかに思い当たるふしがあり、否定もできません。
よく知っている人からの言葉だけに、説得力があり、重みがあります。
聞いた瞬間は、恥ずかしいことながら、強い怒りがこみ上げてきました。
「何てひどいことを言うのだろう」
自分を否定された気がして、気分がよいとはいえない状態でした。
その言葉がきっかけになり、その人に対して苦手意識が働くようになり、だんだん話すことも少なくなりました。
次第に連絡も取らなくなり、今ではもう会おうと思っても会うことができなくなりました。
友人が私のことを思って言ってくれた言葉でしたが、まだお尻の青い私はそのありがたさを、否定的に受け止めていたのでした。
今から思えば、なんてことをしたのだろうと思います。
冷静に振り返ることができるようになった今、誰もが言えないような大切な言葉を教えてくれたのだなと思えるようになりました。
ためになる言葉は、往々にして耳に痛い言葉です。
心に突き刺さる言葉です。
耳に痛い言葉は、誰も言ってくれません。
口にしてしまえば相手を傷つけ、自分との仲が悪くなるであろうことが想像できるからです。
友人は、あなたが一番必要としている言葉に限って、なかなか言ってくれません。
少し気になるところがあっても「大丈夫だよ」と笑顔で流します。
しかし、本人の成長のためには、その「誰もが言えない痛い言葉」を言ってくれたほうがいいのです。
聞いておいたほうがいいのです。
心に突き刺さる言葉を、わざわざ言ってくれた友人は、今思えば神様でした。
誰もが言えない私のいけないところを指摘してくれ、自分が嫌われることを恐れず、言ってくれたのでした。
そのおかげで、今、自分の欠点に気づくことができ、改めることができたのです。
友人からの耳に痛い言葉がなければ、いまだに気づくことがなかったでしょう。
悪い欠点は、残ったままです。
私のほうこそ、謝り、感謝しなければならないのです。
過去を振り返るとたくさんの後悔が思い浮かびます。
それらはすべて、成長のチャンスだったと気づきます。
恥ずかしい経験、いらいらする経験、怒りに震える経験があれば、成長できるチャンスに恵まれているのです。