2006年の暮れは「必修科目の履修漏れ問題」や「いじめの問題」が、特に目立って報道されるようになりました。
どれも文科省が関係している問題です。
一部の人は「文科省が今までほうっておいたからこうなった。文科省が悪い」と、文科省ばかりを名指しで批判します。
たしかにそうかもしれませんが、だからとはいえ文科省だけを叩けば、すべてが改善されるわけではありません。
そんなことを言う人に限って、自分は何も対策をしていないのです。
批判だけなら、誰でもできます。
批判をするくらいなら「自分には、何かできることはなかったのか」と考えることです。
「問題が起こったから、誰かの責任にしたい」というのは、人間の悪い癖です。
「いじめの問題が大きくなったから、誰かの責任にしたい」
「文科省の責任にしよう」
「すべて文科省の問題にすればいい」
このように考えている人ほど、考えの狭い人はいません。
誰かに対策をさせるのではなく「自分は何かできなかったのか」という議論をしてほしいのです。
いじめの問題も、自分がアプローチをすれば、防ぐ手だては何かあるはずです。
「必修科目が不足した問題は、高校に頼り切っていた自分が原因だ。単位の管理は自分でしよう」
こうした考えもあるはずです。
すべての問題は、自分が改善されるチャンスです。
せっかくの改善チャンスも、誰かの責任だけに押し付けてしまうと、成長のチャンスがなくなります。
私が文章を書くとき、注意を払っていることの1つに「批判をしない」というルールがあります。
批判をすれば、おのずから無責任で偉そうな文章になってしまうからです。
「あの人が悪い」
「あの人が全部悪い」
「彼らの責任だ」
このようにいえば、簡単に話が終わることです。
内容として間違っていなければ、批判は誰でも簡単にできる悪口です。
しかし、これでは根本的な解決にはなりません。
個人一人一人が改善意識を持たないと、全体として解決しない問題です。
私は「批判」をする代わりに「あなたがこうすればいいですよ」という話し方をしています。
人付き合いのコツにしても「悪口を言う人は最低だ。そんな人とは付き合わないほうがいい」と言えば簡単に終わる話です。
しかし、根本的な解決にはなりませんよね。
自分ができる改善策を提案しています。
「自分から挨拶をする」「感謝を口癖にする」などです。
悪口を言って問題が解決することはないように、批判をして問題が解決することはありません。
誰かの責任になすり付けるのではなく、自分ができる取り組みから行ってほしいのです。
本当の問題解決は、個人の取り組みが重要です。
相手が悪いからと言って、集中して罵るのではなく、まず自分に何かできないかと考える癖をつけておくことです。