「なぜ、わざわざこんな面倒くさい食べ方をするのだろう」
西洋料理のテーブルマナーを学んでいると、ときどきそう思うことがあります。
そう思っていた時期がありました。
マナーを学ぶたびに「面倒だな。嫌だな」と思っていたのです。
しかし、テーブルマナーに触れているうちに「なぜテーブルマナーを学ぶのか」という理由に、はっと気づきました。
気づいたとき、楽な食べ方をしようとしている自分が、人間として急に恥ずかしくなったのです。
では、どういうことに気づいたのか。
それは、テーブルマナーでは「楽な食べ方」を中心に考えないということです。
「品性のある食べ方」を重視します。
なぜ品性を重視するかというと、それこそ「人間らしい文化の表現」だからです。
知性があり、品性がある人間だからこそ、美しさや品性を重視しながら食べることができます。
それが、ほかの野生動物の食べ方とは異なる点です。
「楽な食べ方」を中心に考えるなら、野生動物と変わりません。
ナプキンも使わず、直接手で持ってかぶりつくほうが、楽です。
ただ腹を満たすだけならそれでもいいでしょう。
しかし、そうではない。
いかに美しく、上品に食べられるか。
それが、野生動物と人間の違いです。
テーブルマナー全体において言えますが、手を汚さず美しく食べるのは、人間らしい文化の表現です。
すべて人間らしい知性をアピールするチャンスです。
バナナは、その典型です。
手で食べればいいところを、あえてナイフとフォークで食べる。
どう考えても、手に持って皮をむいて食べるほうが楽です。
誰に聞いても、そう思うでしょう。
しかし、ここがテーブルマナーが試される瞬間です。
あえてナイフとフォークを使って食べるからこそ、人間らしい品性がうかがえます。
バナナをナイフとフォークを使って食べるのは、地球上で唯一、人間だけです。
サルではできない。
知性と品性を兼ね備えた人間だからこそ、美しさや品性を表現しながら、食べようとするのです。