子どもは不思議です。
まだ分別がつかないころは行儀が悪いので、トラブルを起こしがちです。
父や母から「ああしなさい。こうしなさい」と言われます。
それだけ叱られることも多いですが、自分に注意が向けられていることを実感できるので、嬉しくなります。
叱られながらも「きちんと両親から見られている。愛されている」と感じます。
しかし、子どもは次第に物事の扱い方がわかり始めます。
親としては手がかからなくなり、一安心したいところですが、実はそういうときこそ要注意です。
トラブルが少なくなるというのは、いわば「手がかからない子」になるということです。
自分で靴のひもを結べるようになり、自分で着替えができるようになります。
泣いたり叫んだりすることが少なくなり、次第に手がかからなくなります。
手がかからなくなると、父も母もあまり注意を払わなくなります。
「子ども1人でできるから、ほうっておいても大丈夫だろう」
子どもに接する機会を減らしてしまいます。
それは子どもにとって悲しいことです。
両親からの愛が少なくなり、無視されているような錯覚を起こし始めます。
そこで子どもは考えます。
自分に注意を向けるために、わざとトラブルを起こして、注意を向けさせようとします。
せっかく行儀を覚えて手がかからなくなったのに、また逆戻りという皮肉です。
分別を知っているはずの子どもがいたずらをするとき、理由の半分は、親に振り向いてもらいたいからです。
なんと子育ては難しいのかと思います。
ポイントは、手がかからなくなったときです。
子どもの行儀がよくなり、手がかからなくなったときに、手がかからないからほうっておくのはよくありません。
そういうとき、お父さんお母さんは、子どもに次の言葉をかけてあげましょう。
「今日も行儀よくできましたね。偉いね。すごい!」
手がかからなくなれば、それなりに子どもに話しかけてあげましょう。
すると子どもは、きちんと両親から注目されていることに気づきます。
「無視されているわけではない。両親から褒められて嬉しい。もっと行儀よくなりたい!」
もっと両親から褒められたいと思い、さらに品行方正を心がけようとします。
そういう好循環を作ります。
手がかからない子だから、手をかけないわけではない。
きちんと話しかけてあげましょう。
手がかからなくても、きちんと両親から愛が注がれていることに気づくのです。