マラソン競技での話です。
ある日、監督から「ゴールまで走れ」と、いきなり言われたとします。
目的地がどこかわからないまま、仕方なく言われたとおりにやみくもに走ります。
しかし、走れば走るほど、不安になる。
今向かっている方向で本当にいいのかどうか、わからないからです。
ゴールに近づいているのかも、わかりません。
ゴールとは、どんなことをいうのかも、わかりません。
この話は、人生でも同じです。
私たちは誕生して「生きろ!」と突然言われます。
生きるべき目的を教えられないまま、ただ生きます。
「生まれてしまったから、仕方なく、ただ生きる」という状態です。
若いころは夢を持ち、一生懸命に生きます。
しかし、大人になって現実を知れば、社会に埋もれ、だんだん夢を忘れます。
長く生きれば生きるほど「自分の人生は本当にこれでいいのか」と思うようになり、不安になります。
またある人はこういいます。
「なりたい自分になる!」
たしかに自分の思いどおりの人生を送ることができれば、それで幸せです。
しかし、なりたい自分になろうとしなくても、実は初めからなっているという事実に気づくことです。
チューリップの花は、チューリップの花にしかなれません。
犬は犬にしかなれません。
人間が犬になろうとしても、無理です。
似せたり真似たりすることはできても、根本的に自分を変えることはできません。
「そういう大げさな話ではなく、もっと人間らしくどうなりたいかと言いたいんだ」
そういう人もおられるでしょう。
人間という枠においても、同じです。
親を変えようがありません。
性別を変えようがありません。
顔も身長も変えようがありません。
特に性格です。
「もっとこんな性格になりたい」という人がいます。
性格は変えるのではなく、ありのままを生かすのです。
せっかちな人はせっかちな性格を生かし、穏やかな性格の人は穏やかな性格を生かします。
ありのままの自分をそのまま出して、出し切る生き方こそ、すでに成功です。
空に輝く太陽は、何かになろうとしているでしょうか。
ただ、ありのままの自分を出しているだけですね。
自分らしく生きたとき、最も輝けます。
その光で、ほかの人まで明るく照らすことができるようになります。
ゴールを定めなくてもいいのです。
そもそもすべての存在には、初めから「なるべき自分」が与えられています。
天に逆らわず、ただありのままの自分を出していけば、成功であり、ゴールなのです。