映画監督であり、俳優であるウッディ・アレンの有名な言葉に、次のような言葉があります。
「自分が持っていないものじゃなくて、持っているものを好きになること。それが、幸せでいる才能さ」
心に響く言葉ですね。
人は、つい自分に持っていないものばかりを欲しがって、自分が持っているものは当たり前のことと考え、見ようとしません。
自分には他人にはない才能があっても、生まれつき持っているがゆえに、当たり前と感じてしまうのです。
しかし、他人から見れば、素晴らしい才能に見えるのです。
私の友人で、絵のうまい女の子がいます。
建築学を専攻している普通の女の子です。
建物のスケッチや風景画などを描くとき、彼女の才能が発揮されます。
本人は、特に絵の勉強もしたことがなく、ただ見たままに書いていると言いますが、それにしても上手に描くのです。
建築学の勉強を中心にしている人なのですが「絵を描いても十分やっていけるのでは」と思うくらい上手です。
私から見れば、才能とさえ映ってしまいます。
しかし、本人は、絵を描くことは最初からうまく描けていたため、自分の才能には気づいていません。
逆に「私は貴博君みたいにたくさんの文章は書けない。どうすれば書けるの?」と聞き返されてしまったことがありました。
自分が文章を書けるのは、当たり前のことで、今このように書いている最中でさえ何も特別なことをしている気はしていません。
いつもどおり、手を動かしている感覚にすぎません。
ピアノの練習といった感じです。
しかし、これが他人から見ると、どうやらちょっとした才能にも見えるようなのです。
自分が持っているものには気づかず、自分が持っていないものばかりが目立って見えます。
いま一度、自分が初めから努力もせずにできることを思い出してみましょう。
ほかの人より手先が器用であったり、ほかの人より覚えが早かったりなど、他人より秀でた部分が1つはあるものです。
それをもっと磨けば、本格的な才能へと変わるのです。