気配りをしようとするのは、素晴らしい姿勢です。
気配りができる人は、人から喜ばれますし印象が上がります。
しかし、人から気に入ってもらおうとするばかり、気配りが義務のようになってはよくありません。
「気配りをする」ではなく「気配りをしなければならない」と考えてしまうと、逆に疲れます。
いつも気にかけていることが頭の片隅にあるので、心が落ち着く暇がありません。
自然に気配りができるようになろうと思う意識が強すぎて、逆に不自然な動きになっています。
私の職場にも気配りの意識が強い女性がいます。
飲み会の場所を選ぶことになりました。
「魚が好きな人もいるし、肉が好きな人もいるし。飲み放題がいいか。場所はどこがいいか」
大勢の人の好みを考えるのはいいですが、考えすぎて疲れています。
すべての人が納得する答えは理想的ですが、難しいです。
気配りをしすぎると、なかなか決断できません。
そういう人は、動きを見てすぐわかります。
気に入ってもらおうという意識が強すぎて、不自然になっています。
視線や態度が不安定で、そわそわして落ち着いていません。
気を使ってもらえているのは嬉しいですが、見ていて何だか痛々しいです。
そこまで気を使われると、見ているほうまで疲れます。
義務まで感じる必要はありません。
あくまで、気づいたときに配慮する自然さでいいのです。